3.11〜あれから9年

最近 聞こえ来るニュースはコロナウィルス一色だったのに、

流石に今日だけは311のことが混ざってきますね。

あれから9年! 月日は早い! 

記憶も風化するわけです。

2011年当時 宮城県の南三陸町で撮ってきた写真を見ていただきたいと思い、

また 自分の記憶も新たにしたいので、久しぶりのブログを書いてみます。

当時を知らない お子さんが休校で家にいらしたら、 こんなことがあったんだよと 一緒に見てもらえたら嬉しいです。

私が 南三陸町に行ったのは 大きな瓦礫はもうほとんど片付けられたあとでした。 なので 街に入ってすぐに撮った写真には、どれも だだっ広い 空間が広がるばかり。 なんだか 実感が湧いてこなかったのを覚えています。

しかし 防災庁舎に行って、そのぼんやりした感じは一転しました。 それは 上の写真のようにだだっ広い空間に ニョキッと建っていました。

鉄骨の建物でさえ こんな風にひん曲がってしまう津波の威力。 木造の建物なんてひとたまりもなかったことでしょう。

ここに残った職員の皆さんは「津波です。高台に避難してください。」と自分たちの足元に津波が到達しても町内放送を続け、最終的には屋上に避難したものの、津波は屋上を超え 数十人もの方が亡くなりました。 TVでも報道されたので、記憶に残っている方も多いでしょう。

次に行ったのは 防災庁舎の近くの病院です。 津波は5階の病室にまで到達し、ベッドごと流されてしまった方もいたそうです。

下は 病院から見える ガレキの山。(白い建物の奥) 瓦礫の左端に見える黒い塊は観光に使われていた 機関車です。 鉄の塊ですら、押し流されてガレキの一部となってしまいました。

私が行った時 最低限の仮設住宅が出来上がっていましたが、 一家5人がワンルームに暮らすような状態で、寒さをしのぐのがやっと。 TVなどには取りあげられませんでしたが、居場所のない未成年者の非行が問題になっているとのことでした。

ボランティアテント受付と 備蓄された灯油、作業道具。